子どもを無条件に愛せる親ばかりじゃない
春日 山田さんは、大阪の二児遺棄事件を、どうしてご自身の小説の題材にしようと思ったんでしょう。
山田 事件から懲役30年の判決が確定するまで、2年半ほどあったのですが、テレビのコメンテーターとかの言うことが、勧善懲悪に満ちていて。人生の岐路に立ったとき、こっち側なら大丈夫だったのに、あっち側に一歩行ったがゆえに破滅に向かう―そんな誰にでも起こり得る過ちがこの人たちは全然理解できないんだな、と。「これは私が書くしかない」と思っちゃったんです。
春日 僕、この小説を読んで、よくもまあガチでこれだけ書いたもんだとびっくりして。思い出したのが、富岡多恵子さんの短編で、『末黒野(すぐるの)』。
どういう話かというと、すごくいい加減な男がいて、女房と別れて子ども2人、男の子と女の子を引き取った。ところが、ろくに面倒もみずに、近所にバレるとうるさいから、鍵閉めてわからないようにして、そのまま出稼ぎかなんかに行っちゃう。そして子どもは死ぬ―ひどい話なんですけどね。わざと説話みたいな感じで淡々と書いてある。
「長編でやったら大変だろうな」って昔から思ってたんですが、ここに書いた人がいた(笑)。小説って、一行空きにすることで話を端折ってしまえるようなところがあるじゃないですか。
山田 そう、絶対それをやりたくなかったんです。行間嫌い。(笑)
春日 そこをキチッと埋めているところが力業だし、すべてを書き切らなきゃならないと思ったところが、執筆の動機なんだろうなという気はしていました。
山田 春日さんは最初、産婦人科医でいらしたのが、子どもを無条件に愛せる親ばかりじゃないのがつらくて精神科医に―、と何かで読んだのですが。
春日 医者の立場から見て、この人が子どもを育てるのか、と首を傾げたくなる親がいくらでもいるわけです。でも商売柄「おめでとうございます」と言わなきゃならない。不幸の始まりに立ち会っているようなものなのに。それが嫌でね。
山田 ヒエラルキーの上にいると思ってる人たちは、下なんか見ないじゃないですか。私、『つみびと』でその下と思われて見過ごされている世界を書きたいと思ったんです。地方ならではの事情を抱えた子も、いっぱいいるんですよね。