小柳ルミ子さん(左)と天童よしみさん(右)(撮影=川上尚見)
出会いは20年以上前という小柳ルミ子さんと天童よしみさん。スポットライトを浴びる仕事の苦楽から、母への感謝まで、共感エピソードを語り合いました。
(構成=上田恵子 撮影=川上尚見)

<前編よりつづく

楽屋まで来てくれたその人は

天童 「道頓堀人情」が出たばかりの頃、ルミ子さんのお母様にお会いしました。福岡公演の際、ご友人と一緒に楽屋に明太子を届けてくださって。もう飛び上がるくらい嬉しかったです。

小柳 うちの母、よしみちゃんが大好きだったから。カラオケのチームを作るくらい歌が好きで、いつも「よしみちゃん、歌うまかねえ、かわいいねえ」と言ってね。そのときも、カラオケ友だちとあつかましく差し入れに行ったのだと思うわ。(笑)

天童 私の手を強く握りながら「頑張りなさいよー、あんた。ファンじゃけん。頑張ってよー!」って……。わあ、話しながらジワッときちゃいました。

小柳 うんうん。

天童 私の歌がお母様の心に届いているんだな、と思えて嬉しかったです。そのことは何年かしてから、ルミ子さんとNHKの歌番組『思い出のメロディー』でご一緒したときにお伝えしたんですよね。その日、ルミ子さんが目を潤ませながら「瀬戸の花嫁」を歌われたのが印象に残っています。

小柳 「瀬戸の花嫁」が大好きな母でした。お教室を探すだけでも大変だった時代に、3歳からクラシックバレエ、小学校からはピアノ、歌、ジャズダンス、タップダンス、日本舞踊、三味線、習字と、8つも習いごとをさせてくれて。60年以上前ですよ? お金だってかかったでしょうに。

天童 ありがたいですね。

小柳 本当に。母が亡くなる前日、福岡の病院にお見舞いに行ったんです。翌日は浜松でクリスマスディナーショーが入っていたので帰京したのですが、ショーの直前にお医者様から、母の意識がなくなったと電話がかかってきて。本当に腰が抜けました。「なぜ今日なの? 昨日なら看取れたのに」と、本番の30分前まで泣いていました。

でもこれは「プロなんだから、悲しくても笑顔でステージに立ちなさい」という、母からの最後の教えなんじゃないかって……。泣きはらした顔にメイクして、2回のステージをやり遂げたのよ。