青木さやかさんの連載「49歳、おんな、今日のところは『……』として」――。青木さんが、49歳の今だからこそ綴れるエッセイは、母との関係についてふれた「大嫌いだった母が遺した、手紙の中身」、初めてがんに罹患していたことを明かしたエッセイ「突然のがん告知。1人で受け止めた私が、入院前に片づけた6つのこと」が話題になりました。
今回は「年賀状を今年書いてみようか、なわたしとして」です。
今回は「年賀状を今年書いてみようか、なわたしとして」です。
年賀状を今年書いてみようか
11月のはじめ、コンビニに年賀状が売っていて、何を思ったか50枚購入してみた。
お正月まで2ヵ月あれば書けるに違いない。
12年ほど前までは、年賀状を出していた。
1年間お世話になったスタッフさんやタレントさんに、数百枚。
もちろん一枚一枚書いて。
1月明けたら会社に届いた年賀状とうちに届いた年賀状をみて、出さなかった方を探し出し、更に追加で年賀状を書いた。結構大変な作業であった。ある年に、これは一旦おやすみさせていただこうと出さずにいて、12年ほど経った。
わたしが子どもの頃は、元旦に年賀状が届くのが、なによりの楽しみだった。もしかしたら、お年玉よりわくわくしたかも。両親は教師だったので、何束にもなって沢山の年賀状が届いた。居間の窓から郵便屋さんがきたのをみつけると、ポストまで寒い寒いと言いながら年賀状を弟と取りに行った。そんなことをするのはお正月だけだった。山ほどの年賀状を、父の分、母の分、わたしの分、弟の分、と分けていった。家族全員分の宛名が書かれた年賀状は、裏をみて、主に誰宛?と確認した。
わたしにきた数枚の年賀状は宝物のようで、何度も何度も、読み返した。特に、わたし宛に直筆でメッセージがあるものは嬉しくて、自分に手紙をくれる喜びは大きなものがあることを知った。
だから、わたしは、直筆で一人一人にメッセージを書こうと思ったんだ。