海外文学を読む時、文化の違う遠い国が舞台であっても、そこに描かれている情景をありありと思い浮かべることができるのは、翻訳の力によるものです。どう言葉を探し、紡いでいるのか。あまり知られることのない仕事の裏側を、翻訳家の岸本佐知子さんに酒井順子さんが聞きました(構成=村瀬素子 撮影=洞澤佐智子)
居場所がほしくて翻訳家の道へ
酒井 岸本さんはエッセイの名手でもいらっしゃいます。翻訳とエッセイ、書く時の感覚はどう違うのでしょう?
岸本 翻訳は〈受信〉だと私は思っていて。原文から作者の声を受信して、それを別の言葉にして出すラジオのようなイメージでしょうか。エッセイには原文がないので、自分がゼロから生み出さねばとプレッシャーに感じていたこともあるのです。
でも、最近、エッセイも受信だと気づきました。自分がネタを「考える」のではなく、私自身はラジオみたいなもので、空中に漂う妙な考えが頭の中に飛び込んできて、それを書いているだけだと思えてきたのです。
酒井 キャッチしたことを伝える。
岸本 そう。だから昔はネタが浮かばないと苦しかったけれど、最近は「電波がないからしょうがない」と思っていますね(笑)。酒井さんこそ多くのエッセイを書いていらして、ネタは溢れ出てくるのですか?