本誌元編集長で、日本初の商業誌の女性編集長として知られる三枝佐枝子(さいぐさ・さえこ)さんが2023年1月、102歳で亡くなった。ここでは当時話題を呼んだ誌面や、瀬戸内寂聴さん、佐藤愛子さんら作家、知識人に転機をもたらした仕事などを紹介。その雑誌づくりで目指したのは、戦後を生きる女性の背中を押すことだった。
【1959/昭和34年】
「世界のトップ・レディ会見記」犬養道子
五・一五事件で祖父犬養毅首相を失い、11歳で手記「おじいさまの思い出」を本誌に寄せた犬養道子さんは、欧米歴訪後に三枝さんを訪ね、本誌特派員として連載を始める。三枝さんが記すその際の苦労話とは
ある時、編集部のTさんが「犬養さんは《世界のトップ・レディ会見記》という企画をやらせないかって言ってますよ」とのことである。さっそくお話を伺って、私は、そのスケールの大きさにおどろいた。世界の十二カ国のそれぞれの代表的な女性を選んでインタビューし、一年間連載するというのである。(中略)
何しろ遠い国々であり、一流の人々である。手紙を出しても返事はこず、心はいら立つばかりだった。今考えるとおかしいようだが、第一にアメリカが犬養さんの入国のビザをなかなか出してはくれなかった。(中略)
もちろん当の犬養さんはもっと大変だったわけだが、非常なファイトと努力によって、無事十二カ国のトップ・レディと会見して、昭和三十四年五月号から一年間連載し、この「婦人公論」誌上かつてない大企画を見事完成してくださった。この時を機に、私たちはいっそう目を海外に向け、外国取材の企画を次々とたてるようになった。
(三枝佐枝子著『女性編集者』より)