1960年、愛読者グループのハワイ支部を訪ねた三枝さん。全国に約95、海外にも複数の支部があったころで、「東京グループ」には30代を中心とする約250名の会員がいたという
本誌元編集長で、日本初の商業誌の女性編集長として知られる三枝佐枝子(さいぐさ・さえこ)さんが2023年1月、102歳で亡くなった。ここでは当時話題を呼んだ誌面や、瀬戸内寂聴さん、佐藤愛子さんら作家、知識人に転機をもたらした仕事などを紹介。その雑誌づくりで目指したのは、戦後を生きる女性の背中を押すことだった。

日本初の商業誌女性編集長の軌跡

「ちょっと来て見てごらん。中央公論社が『婦人公論』編集者を募集している」

終戦翌年、小さな新聞広告を見た夫の一言が、主婦だった三枝さんの心を「社会へ出て自分の力を試してみたい、という気持ちにかりたてた」(『婦人公論』1997年9月号)。

46年、本誌の戦後復刊第一号が発行された4月に中央公論社に入社。『婦人公論』編集部に在籍したおよそ20年のうち、58年から66年まで編集長を務めて40万部近くまで発行部数を伸ばし、退職後は評論家として活躍した。

 

読者と本誌の結びつきを強めた事業のひとつに、全国主要都市で開催された講演会「婦人公論文化講演の夕」がある。写真は壇上で話をする三枝さん。読者の誌上参加の機会はますます増え、募集は手記のみならず論文にも及んだ。年間の記事のなかで、特に感銘を受けたものを読者投票で選ぶ「読者賞」が人気を博したほか、62年には、本誌主催の「女流文学賞」を新設している