【1955/昭和30年】
「主婦という第二職業論」石垣綾子

「主婦という第二職業論」石垣綾子
主婦である妻たちに、社会に出て「第一の職業」を持つよう説いた論文。以後、多様な主婦論がメディアを賑わせた。

この企画は『暮しの手帖』の花森安治編集長のアイデアによるものだったと三枝さんが回想する。

昭和三十年のある日、私は珍らしく花森氏の自宅へ伺って、いろいろ話をしていた。話はたまたま京大教授桑原武夫氏が「中央公論」に書かれた「俳句第二芸術」という論文に及び、花森氏がふと、「『主婦第二職業』というのは面白いと思うが……」と洩らされた。(中略)

私は花森氏に、「ぜひその題で『婦人公論』に論文を書いて下さい」とお願いした。しかし、氏はちょっと考えた後に、「いや、ライバル誌に論文を書くわけにはいかないからな」と言われ(中略)「では、そのタイトルで、他の方に原稿を書いていただいてもいいですか?」との私の言葉に、「ああいいですよ」との返事が返ってきたのである。

私はその足で評論家の石垣綾子さんをおたずねして「主婦第二職業」――つまり、主婦業は第一の職業とはいえない。これからの主婦は、第二の職業である主婦業に満足していないで、社会に出て、第一の職業につくべきである――という趣旨の原稿をお願いした。

世に言う「主婦論争」の口火となった石垣さんの論文は、このように、花森さんが思いついたタイトルを、石垣さんが見事に肉付けしたものである。

(『暮しの手帖保存版III』臨時増刊号2004年1月1日号より)

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