上野千鶴子さん(右)と酒井順子さん(左)(撮影:洞澤佐智子)
大正5年の創刊から100年分の『婦人公論』を読み、女性と社会の変化を『百年の女 婦人公論が見た大正、昭和、平成』に綴った酒井順子さん。令和4年の現在、女性を取り巻く状況はどう改善されてきたのか。社会学者の上野千鶴子さんを迎え、語ります(構成=篠藤ゆり 撮影=洞澤佐智子)

処女であることが付加価値となった頃

酒井 『婦人公論』は、女性の権利と社会参加を訴えて創刊されました。連載の最終回となる今日は、近現代の日本社会と女性の変化についてお話ししていきたいと思います。上野先生はこの夏、内閣府の令和4年版「男女共同参画白書」はよくできているとツイッターに投稿され、話題を呼びましたね。

上野 今年の男女共同参画白書の特集テーマは、「人生100年時代における結婚と家族~家族の姿の変化と課題にどう向き合うか~」。これをお作りになった男女共同参画局長・林伴子さん(当時)は、もともとエコノミストなので経済に非常に強い方。データを積み上げて日本女性のありようを実証したもので、説得力があり、感心しました。

酒井 興味深いデータばかりです。まずは明治時代から、結婚と家族を取り巻く状況を振り返っていきましょう。明治時代は離婚も婚外子も多かった。そのあたりは、江戸時代の自由さが引き継がれているようにも思えます。

上野 江戸時代は自由に生きる選択肢があったわけではなく、多様性は階級差によるものです。江戸後期、農民と町人は性的に自由だったようです。一方、全人口の7%しかいない武士階級は――。

酒井 女性は結婚まで処女でなければいけないとされていた。

上野 そうです。そうした武家の道徳が明治以降、全国民に広がった。文化人類学者の梅棹忠夫さんは〈ブシナイゼーション〉とうまいことをおっしゃっています。これは共同体内でも格差が広がった結果でしょう。食いつめた人が売った土地を買い地主となった人は、娘を家格が上の家に嫁にやろうとする。そこで「釣書(つりがき)」や「仲人」が登場しました。

酒井 処女であることが、娘の付加価値を高めたわけですね。

上野 はい。一方で、上の階層の男が自分より下の階層の女性に手をつけるのは日常茶飯。正妻にはなれず、側女(そばめ)や妾になる。婚外子が多い理由はそこにあります。

酒井 そういった明治の価値観のなかで、明治44年に元祖フェミニズム雑誌とも言える『青鞜(せいとう)』を発刊した平塚らいてうの登場はセンセーショナルだったでしょうね。らいてうは『婦人公論』創刊号にも寄稿しています。

上野 当時の性道徳からしたら、相当インパクトがあったと思います。この第一波フェミニズムが起きたのは、いわゆる勤め人が増えて中産階級が生まれた時代です。女性にも職業婦人といわれる給料取りが登場しました。