酒井 上野先生のフェミニズムの原点は、家庭環境にもあったとか。お母さまは気難しい夫に仕え、姑や小姑に囲まれてしんどい思いをなさっていた。

上野 両親はあの時代には珍しく恋愛結婚でしたが、母は「自分には男を見る目がなかった」とこぼしました。それを「お母さん、相手を変えてもあなたの不幸は同じだよ」と、10代でじーっと見ていたイヤな娘でした。(笑)

酒井 私も両親の仲が悪くて、「なんだかな」と思って見ていましたけれど、それが社会の問題だとはまったく思っていませんでした。

上野 両親を見ても、社会構造を変えようなんて大それたことは考えませんでした。ただ、自分はこの罠にハマらないようにしようと思って結婚を避けました。酒井さんも、そうじゃないんですか?

酒井 そこまで強い意思を持っていたわけではないけれど、結果的にそうなりましたね。(笑)

上野 酒井さんは女子校文化で育ってきたから、わりと無理なくフラットでいられるのかも。

酒井 でも女子校の同級生が、共学の大学に入った途端にラグビー部のマネージャーになって嬉々として洗濯しているのを見て、激しくショックを受けましたけど。

上野 それはホモソーシャル(緊密な結びつきを持つ男性同士の連帯)な集団の中のトップ、いわゆる「α(アルファ)オス」をゲットしたいという、女性たちの定番行動です。αオスに認められることが女の価値になる。

酒井 はぁ~~~。(笑)

上野 学生運動のリーダーもモテまくりました。男に選ばれる代わりに「私だって男と互角に」となると、東大に実際にいたという角材を持った女性闘士は「ゲバルト・ローザ」と揶揄されました。後に男女雇用機会均等法が施行されて総合職が登場した時、ゲバルト・ローザだと感じました。

酒井 なるほど。男並みに働く。

上野 そこに、「女を捨てて」という修飾句が入るんです。

<後編につづく