(構成◎碧月はる 撮影◎本社 奥西義和)
昭和歌謡の存在が孤独を埋めてくれた
幼少期、タブレット純さんはさまざまな葛藤を抱えていた。いじめ、視線恐怖、セクシュアリティの悩みなど、誰にも打ち明けられない悩みを抱えた日々において、昭和歌謡や芸能史の存在が、孤独感を埋めてくれたという。
子どもの頃から、「自分は普通には生きられない」という感覚がありました。引っ込み思案なだけではなく、忘れ物も異常に多かったんです。なおかつ、子ども時代に同性である男の子が好きだったというのもあり、人と違うことだらけだったのがすごく苦しかったですね。
今でも覚えているのは、中学の2年間「鏡を見ない」時期があったことです。見た目も含めて、自分のすべてが嫌だったので。学校でいじめにも遭っていて、学校に行くふりをして休んだりもしていました。なので、自分自身からどこか逃避していて、スポーツ選手や芸能人に夢を託していました。
学生時代から昭和歌謡や昭和芸能史のマニアだったのには、そういう背景があります。好きな芸能人や歌のことをいろいろ調べている時間は、自分の抱えている問題を忘れられる。だから余計に熱中しましたね。まだCDが出る前で、ネットもない時代だったので、録音したラジオを自分で編集してオリジナルのカセットテープを作ったり、中古レコードを集めたりしていました。そうやって自分なりに知識を深めていったことが、今の仕事につながっています。
とはいえ、もともとは表舞台に立つような仕事をする気は一切なかったんです。子どもの頃から引っ込み思案で、人前に出るなんてとんでもない!という感覚が強かったので。
でも、長年働いていた古本屋が潰れてしまって、その後はじめた介護の職場も潰れてしまって。いよいよどうしようと思った時、中学時代から文通していたGS(グループサウンズ)研究家の方の生き方に影響を受けて、ムードコーラスの研究をはじめました。その過程で、昔から大好きだったマヒナスターズのメンバーの日高利昭さんが主催するカラオケ教室に、アポなしで押しかけたんです。