母を亡くして憔悴した父は
「昨年の秋に、実家を売却しました。まさか、あの家を手放すことになるとは……」
遠い目をしてため息をつくのは佐島理沙さん(52歳・会社員、仮名=以下同)。よほど思い入れのある家だったのだろう。堰を切ったようにこう続けた。
「祖父から受け継いだ土地に父が家を建てたのは、私が小学校3年生のときです。レンガ造りで、天井が高くて、晴れた日にはリビングの大きな窓から瀬戸内海が一望できる自慢の家でした。なによりも、あの家には家族の思い出がぎっしりと詰まっていたのに……」
佐島さんは大学進学を機に上京。卒業後は東京の建築会社に就職したが、父は「いつでも帰ってくればええ。ここは一人娘であるおまえの家なんだから」と口癖のように言っていたという。佐島さんも、いつかまた自分の家で暮らす日を楽しみにしていた。
転機が訪れたのは、5年前。母が大腸がんで他界してしまったのだ。夫婦仲が良かっただけに、当時76歳だった父の憔悴ぶりは大変なもので、身の回りの世話をする人がいなくなってしまったことも佐島さんの気がかりだった。
退職して実家に帰るべきだろうか。思案していたところ、実家の近所に暮らす叔父夫婦が手を差し伸べてくれた。「兄さんのことは大丈夫だから」との言葉に支えられ、佐島さんは東京での暮らしを続けたが、半年ほどは、休日ごとに実家へ帰るようにしていたという。
しかしある日、父から「通いの家政婦さんがみつかった」と連絡があった。内心ホッとしたのだろう。仕事に専念できるようになると、佐島さんの実家への足は一気に遠のくことになる。その年の大晦日に久しぶりに会ったとき、父はずいぶんと元気になっていた。
「家政婦さんはどんな人?」と尋ねると、「これが料理上手でね」と上機嫌。趣味の陶芸も再開したと饒舌な様子を見てすっかり安心し、その後は電話で話すだけで、1年くらい帰省しなかった。
「今は本当に後悔しています。父が急逝してしまうと知っていたら、何をおいても会いに行ったのに……。脳溢血でした」
病院の霊安室へ駆けつけた佐島さんに、追い打ちをかけるように待ち受けていたのは、耳を疑うような驚愕の事実だった。
「病院のロビーで叔父から告げられたんです。『どうやら兄さんは周囲の誰にも告げず、家政婦さんと婚姻届を出していたようだ』って」