古いタバコ屋の店頭にある赤い琺瑯看板に旧町名残りがちという旧町名あるある早く言いたい(写真提供:二見書房)
「中央区銀座西2−2先」は正式な住所ではない。正しい住所は「無」。存在しないのである(写真提供:二見書房)
空襲被害を免れた本町には、かつてはこのような戦前の貴重な琺瑯看板が残されていた(写真提供:二見書房)
『旧町名さがしてみました in東京』(著:102so/二見書房)
昭和57年の住居表示実施で丁目が消え単独町名となったため、丁目付き兜町は旧町名扱い(写真提供:二見書房)
月島通を中心に、西側に西仲通・西河岸通、東側に東仲通・東河岸通。旧町名にはすべて「通」が付く(写真提供:二見書房)
発見した平成19年当時の様子は宝町が残っていた建物ふくめ数軒のみの開発待ちだった(写真提供:二見書房)
現町名の中央区京橋に併記される旧町名の宝町。消滅は意外と遅めの昭和53年(写真提供:二見書房)
霊巌が寺を創建した島なので霊岸島。霊巌寺は大火によりわずか31年でこの地を去ります。いまはいずこへ(写真提供:二見書房)
越前福井藩主松平越前守の屋敷を囲む・巨大な堀が由来。堀の幅はなんと20メートル(写真提供:二見書房)
木挽とは造材のこと。昭和24年に三十間堀が埋め立てられ銀座と地続きになったことが町名消滅の原因(写真提供:二見書房)
令和2年11月ごろ解体の建物に発見。京橋區時代なのに文字の向きが區橋京でないのは珍しい(写真提供:二見書房)