猪木啓介
いのき・けいすけ
株式会社猪木元気工場 代表取締役社長
1948年、猪木家の末弟として神奈川県横浜市に生まれる。1957年、一家でブラジルに移民し5歳上の兄・寛至(アントニオ猪木)らと農園労働に従事。1971年に帰国し、翌年旗揚げされた新日本プロレスに入社。営業を担当するかたわら「アントン・ハイセル」などブラジル関連事業に携わる。闘病生活を送ったアントニオ猪木の晩年を支え、その最期を看取った。現在、東京都在住。

エッセイ
実弟が語る<アントニオ猪木に関する最大の誤解>。佐山、長州、前田。兄貴を取り巻く人間が離合集散を繰り返した理由はズバリ…
猪木啓介2025年03月24日

エッセイ
住所が書かれたメモを紛失したせいで生き別れたアントニオ猪木とその姉。27年ぶりに再会できたのは伝説のあの一戦があったからで…
猪木啓介2025年03月23日

エッセイ
アントニオ猪木の実弟が語る<1976年6月26日モハメド・アリ戦>。「試合直後は<世紀の凡戦>と酷評された一戦。しかし兄貴にとってアリ戦の意味は…」
猪木啓介2025年03月22日

エッセイ
アントニオ猪木の実弟が明かす<倍賞美津子との1億円挙式>の裏側。「美津子さんは気さくな人だった。引っ込み思案な兄貴だが、この人ならと」
猪木啓介2025年03月21日