2022年10月1日に永眠された、プロレスラー・アントニオ猪木さん。実弟である猪木啓介さんは2025年2月、アントニオ猪木さんのライセンス運営を管理する「株式会社猪木元気工場」の新社長に就任し、<元気>を発信し続けています。今回は、啓介さんが<人間・猪木寛至>のすべてを明かした書籍『兄 私だけが知るアントニオ猪木』から、一部を抜粋してお届けします。
「アントニオ猪木」に関する最大の誤解
私がブラジルに戻った1983(昭和58)年以降、新日本プロレスの人気には陰りが見えるようになっていた。
佐山聡、長州力、前田明(現・前田日明)ら人気の若手選手が団体を去り、選手層が弱体化したこともあるし、40歳を過ぎた兄貴も、肉体的な衰えは隠せなかった。テレビの視聴率も徐々に下降し、さまざまなテコ入れが試みられたが、逆にそれが従来のファンの反発を受けるなど、悪循環を止めることができなかった。
なぜ兄貴の周囲にいる人間は離反するのか。選手しかり、フロントしかり、あるいはビジネス上のパートナーしかり、アントニオ猪木を取り巻く人間は必ずと言っていいほど離合集散を繰り返す。どうしてそれが起きるのかといえば、兄貴の持って生まれた性格を周囲が誤解しているからである。
アントニオ猪木はスター選手であるが、いわゆる「親分」ではない。リングの上では相手の持ち味を引き出し、最高に輝かせることを得意としたが、団体の経営者として部下の能力を引き出したり、人材を育成しマネジメントする力はまったくゼロ。
あくまで自分は神輿(みこし)の上に乗っているだけで、自分のために尽くしてくれる籠をかつぐ人、ワラジを作る人の心の内側には、なかなか思いが至らない人間だった。
スター選手の周辺には、自分が動かずとも向こうから人間が集まってくる。兄貴も子どものころから自分中心の人間だったわけではないが、長きにわたってプロレス界のトップに君臨しているうち、目が曇ってしまった部分は多分にあったと思う。