タテ社会のプロレス団体

タテ社会のプロレス団体には、兄貴に憧れた若者が入団してくるし、社員も「アントニオ猪木のために働きたい」という気持ちが土台にある。

トップの兄貴がもう少し全体に目配りして、たとえば頑張っている若手を抜擢したり、会社に貢献した社員を人事や報酬で報いたりすれば違ってくるのだろうが、「他人の面倒を見る」という親分肌の性格を持ち合わせていない兄貴はいつも「てめえは勝手に生きろ!」と薄情なことを言う。

最初は「一生、猪木さんについていきます!」と心に誓っていた選手たちも、どこかで兄貴の非情な一面に触れ、気持ちが離れていってしまう。アントニオ猪木に幻想を抱き、親分肌の人間であると思い込んでいる人ほど、その傾向が強い。

『兄 私だけが知るアントニオ猪木』(著:猪木啓介/講談社)

もっとも、自分に弓を引いた人間を許し、水に流すことができるのは兄貴の不思議な持ち味だ。それもまた、ある種のご都合主義だったかもしれないのだが、兄貴は人の悪口をあまり言わなかったし(ときどきは罵っていたが)、どんなにスキャンダルを書きたてられても、雑誌や新聞を敵視することもなく、「あいつらも仕事さ」と大人の対応を見せていた。

いろいろな人間との出会いと別れがあった80年代だが、兄貴にとって最大の意味を持っていたのは、倍賞美津子さんとの別れだった。