「今の多くの大人はいわゆる《正解》を子どもに押し付けている気がして、心配」(五味さん)

言葉の意味はどこまで自由に解釈できるのか?

五味 僕は絵本作家だから、言葉をもっとファジーに、大雑把に使いたいと思っています。たとえば、赤い丸を見てりんごと思う人もいればお日様と見る人もいる。それを許容するのが絵の世界でしょ。言葉もそれと同じように使えたらな、と。

今井 私は、言葉もそれに近いことができると思っていますよ。今回の本で「言葉は自由に解釈できる」と書きましたが、一つの言葉は、状況によっていろいろに解釈ができるということを示しました。

五味 でもさ、たとえば「税金を納めなさい」と督促状が来たら、その事実は動かせないでしょ。そんなふうに、別の解釈が絶対にできないように言葉を使う人も多いんじゃない?

今井 確かにその例だと、ほかの解釈はできませんね(笑)。ただ、言葉を研究していても感じますが、一つの言葉を人によってすごく違ったふうに解釈することがある。文が長くなればなるほど、解釈の自由度は上がりますよ。

五味 それは、確かにそうだよね。僕が気になるのは、今の子どもたちへの教育では、「言葉を《いい加減》に解釈してもいい」とは決して教えていないことなんだよな。言われた言葉をそのまま文字通りに受けとめなさい、なんでも言われた通り素直にやりなさいと教えている気がするんだ。

督促状にいろんな解釈があっては困るから。素直な子を育てようとしているけど、それは結局のところ、「素直な納税者になれ」ってことよ。

今井 極論、そうかもしれないけど(笑)。私は心理学の研究者だから、いくら言葉を正確に伝えようとしても、人の心や考えはさまざまで、同じように解釈してもらうのはほぼ無理だと実感していますよ。それに言語は、意味にブレがあって、解釈の余地があるからこそ、面白いのだと思うんです。

五味 もちろん、それは僕も大前提として考えている。ただ、もう一度だけ言うと、今の多くの大人はいわゆる《正解》を子どもに押し付けている気がして、心配。そこから脱出するにはどうすればいいかなって思いが根底にあって、それを伝えることを、僕はトライ&エラーでずっとやっているつもり。

今井 なるほど。こういう五味さんの、人と違う視点はどこから生まれたんでしょう?

五味 わかんない(笑)。ただ、僕はほとんど学校に行かないで、多摩川をぶらぶらしているような子どもだった。一人で自然の中で考えたり学ぶほうが好きだったんだよな。いたずらばかりしてね。

今井 そんな五味さんだったからこそ、自由な発想の絵本が描けるんですね。