こっちも「上等だよ」と
奥山 それで『地雷を踏んだらサヨウナラ』(99)とか映画プロデューサー・李鳳宇さんの配給作品の仕事が何本か続いていた頃、三池崇史の『IZO』(04)という変な映画の企画があって。その宣伝をしろと、僕が内田裕也さんから赤坂の高級ホテルの喫茶店で迫られたことあるんです。裕也さんに「断ったらこの場で暴れる」とか、めちゃくちゃなこと言われて、「まあ、いいか」ってその場では引き受けたんですけど。李さんに「オレこの宣伝やんのキツいわ」って相談したら、「あ、いいやついますよ。叶井ってのがいて」と。
叶井 いや、そういう感じ……?
奥山 「あー、そっか。こういうときだよな、叶井俊太郎の登場は」と。それで李さんが「叶井に、奥山さんから相談があると伝えました」って言うんで電話したんだけど。留守電を残しても一向に折り返しがない。やっと出たから「私、奥山という者なんですけど」と言ったら「なんか用事?」って。
叶井 そんなこと言いませんよ! 絶対に言っていない!
奥山 いや絶対に言ったね。今でも言いそうじゃん。こっちも「上等だよ」と思って。「用事ないわ」って、そのときは電話切っちゃったけど。
※本稿は、『エンドロール! 末期がんになった叶井俊太郎と、文化人15人の“余命半年”論』(サイゾー)の一部を再編集したものです。
映画業界では知らない人のいない名物宣伝プロデューサー・叶井俊太郎(かない・しゅんたろう)。数々のB級・C級映画や問題作を世に送り出しつつも結局は会社を倒産させ、バツ3という私生活を含めて、毀誉褒貶を集めつつ、それでもすべてを笑い飛ばしてきた男が、膵臓がんに冒された!しかも、診断は末期。余命、半年──。
そのとき、男は残り少ない時間を治療に充てるのではなく、仕事に投じることに決めた。そして、多忙な日々の合間を縫って、旧知の友へ会いに行くことにする……。
出典=『エンドロール! 末期がんになった叶井俊太郎と、文化人15人の“余命半年”論』(著:叶井俊太郎/サイゾー)
奥山和由
プロデューサー
1954年生まれ、東京都出身。20代後半からプロデューサーを務め、『ハチ公物語』 (87)『遠き落日』(92)『226』(89)などで興行収入40億を超える大ヒットを収めた。 一方、『その男、凶暴につき』(89)で北野武、『無能の人』(91)で竹中直人、『外科室』 (92)で坂東玉三郎など、それぞれを新人監督としてデビューさせる。『いつかギラギラ する日』(92)『GONIN』『ソナチネ』(93)などで多くのファンを掴む他、今村昌平監督 で製作した『うなぎ』では、第50回カンヌ国際映画祭パルムドール賞を受賞した。94年 には江戸川乱歩生誕100周年記念映画『RAMPO』を初監督、98年チームオクヤマ 設立後第一弾の『地雷を踏んだらサヨウナラ』は、ロングラン記録を樹立。スクリーン・ インターナショナル紙の映画100周年記念号において、日本人では唯一「世界の映画 人実力者100人」のなかに選ばれる。日本アカデミー賞優秀監督賞・優秀脚本賞、日 本映画テレビプロデューサー協会賞、Genesis Award(米国)他多数受賞。18年、自 身が監督したドキュメンタリー映画『熱狂宣言』が公開。近年では更に18年『銃』(企 画・製作)、19年『エリカ 38』(製作総指揮)、20年『銃 2020』(企画・製作)、20年 『海辺の映画館』(エグゼクティブ・プロデューサー)21年『女たち』(制作)、23年『ランサム』(製作総指揮)に携わる。19年には『黙示録 映画プロデューサー・奥山和由 の天国と地獄』(春日太一著)が出版され話題を呼んだ。
叶井俊太郎
プロデューサー、コラムニスト
1967年東京都生まれ。フランス映画『アメリ』のバイヤーとして知られ、『いかレスラー』『日本以外全部沈没』などの企画・プロデューサーとして日本映画界の発展に貢献。現在は、映画配給レーベル・エクストリームの宣伝プロデューサーを務める。2009年9月に漫画家・倉田真由美と入籍。22年6月、膵臓がんで余命半年の告知を受けるが、23年10月現在、笑いながら存命中。