シネマジャパネスクとはなんだったのか

―「シネマジャパネスク」は邦画の新しい製作・興行体制の構築を目指して、専用上映館を軸に低予算映画を上映するプロジェクトですね。CS放送チャンネル「衛星劇場」のオリジナルコンテンツ製作の側面も持っていたとのことですけど。

叶井 今考えても、シネマジャパネスクって壮大なプロジェクトですよ。

奥山 当時はCSが台頭してきた頃で、親父(奥山融=元松竹社長)が松竹の子会社で衛星劇場を先陣切って始めたんですよ。月1800円の会費を取るサブスクみたいなモデルで、ビッグ黒字マウンテンを築いた。その黒字を使い、先行投資的に映画を作って若手監督を育てるという話で。

叶井 今でいうネットフリックスと同じですよ。プロジェクト第1作は阪本順治監督『傷だらけの天使』(97)、2作目が今村昌平監督の『うなぎ』(同)で、黒沢清監督の『CURE』(同)などの作品がラインアップされていくという。

奥山 新人監督は絶対に海外で賞を獲るべきだってことで、その道を切り開くために『うなぎ』を投げ込んだんですよね。同時にワールドワイドなプロジェクトにしたかったから、台湾のホウ・シャオシェン監督の『フラワーズ・オブ・シャンハイ』(98)とかも引っ張ってきて。

叶井 そういう考えだったんだ。『うなぎ』はカンヌでパルム・ドール獲りましたもんね。

奥山 一方で『RAMPO』(94)が成功した勢いで、ロバート・デ・ニーロの製作会社トライベッカ・プロダクションと組み、50億円規模の映画ファンドが当時できたんですよ。

叶井 デ・ニーロとのファンドについては、映画業界的にみんな仰天していました。