校舎地下の簡易食堂に集まる高齢の住民。取材の2ヵ月後、爆撃でスタッフら7人が犠牲に(オリヒウ/撮影◎筆者)

町に残るのはほとんどが高齢者

ロシア軍の侵攻前、オリヒウには約1万4000人が暮らしていた。攻撃の激化で多くが逃げ出したが、今も1割が残る。被害を免れた学校が、住民の支援拠点となっていた。

そのひとつを訪ねた。校舎の地下フロア全体を退避シェルターにし、食堂や簡易シャワー室が設けられている。ここに避難している住民のほとんどが高齢者だ。外に出れば、いつミサイルや砲弾が飛んでくるかわからないため、皆、地下の食堂に集まっていた。

カテリーナさん(71歳)は、息子の家族とともにいったんポーランドに避難したものの、半年でオリヒウに戻ってきた。彼女は力なく言った。

「この年齢になると、言葉も違う外国での新たな生活はそれだけで大きな心労となるのです」

その脇に座っていた男性、ローマンさん(51歳)は、なかば諦めが入り混じった口調で話した。

「どこに逃げても危険に変わりはないんです。ならば愛する故郷に留まりたい。運命は神にゆだねています」