ロシア軍まで2キロの村にも住民が
オリヒウから東に車を走らせ、さらに前線に近いマラ・トクマチカ村に向かう。バリケードと土のうで固められた厳重な検問所をいくつも越える。ロシア軍との境界までわずか2キロ。緑の木立の中に、破壊された家屋が点在する。
ここにもわずかに残る高齢者がいた。医薬品や衣類を届けにやってきた人道支援団体の物資配布の列に並んでいた住民たちに聞いてみた。
「家畜の牛が3頭もいて、置き去りにはできない」「年金生活なので、よその場所にアパートを借りる余裕もない」
危険な状況でも、なかなか避難できない事情を口々に話した。
戦闘の激しい地域から逃れたものの、身を寄せたアパートにミサイルが着弾し、家族を失った人もいる。避難生活で苦労が重なって心身の調子を崩した高齢者も少なくない。若い世代や子どもは脱出するが、高齢の住民が避難に二の足を踏んでしまうのには、こうした背景もあった。
村の女性、スビトラーナさん(61歳)は、私に駆け寄ってきて、力いっぱい抱きしめてくれた。
「平和になったらまた来るんだよ。自慢の手料理をふるまってあげるから」
この地域をロシア軍が執拗に攻撃するのは、戦略的に重要な場所に位置するからだ。ここがウクライナ軍に突破されれば、ロシア軍の占領地域の分断につながることになる。そのため、この地域に徹底した砲撃や空爆を繰り返しているのだ。
このマラ・トクマチカ村は、のちにウクライナ軍の反転攻勢の進撃路のひとつとなり、大規模な戦闘が開始された。攻防の地となった村は、さらなる戦火に見舞われている。