バフムトの前線で戦死したオレグ隊長の葬儀で棺を運ぶ兵士たち(ミコライウ/撮影◎筆者)
戦火の止まぬウクライナ。ロシア軍の攻撃が相次ぐなか、今も戦闘地域の町や村にとどまる高齢者がいる。危険や不安と隣り合わせの過酷な日々。人々の苦悩の声を現地で聞いた

<前編よりつづく

4キロ先から次々と砲弾が

ウクライナ南部の都市、ヘルソン。約8ヵ月にわたりロシア軍はこの一帯を占領した。昨夏、私はウクライナ軍が前線拠点としていたヘルソン西方のノバ・ゾリャ村を取材した。

当時はこの村のすぐ近くまでロシア軍が部隊を展開し、緊張が続いていた。4キロ先から次々と砲弾が撃ち込まれてくる。ひっきりなしの砲撃にこわばりながら村に入った私を迎えてくれたのが、ウクライナ軍のオレグ隊長(51歳)だった。

「こんな危険な前線までよく来てくれたね」と、分厚い手でぎゅっと力強く握手をしてくれた。がっちりした体格に厳めしい口ひげを蓄えているが、笑顔は優しく、人なつっこさを感じさせる。

隊長が率いる小隊の任務は、ロシア軍の動きを偵察することだ。

「ロシア軍は1日400発の砲弾を撃ち込んでくるが、こちらは40発撃ち返せるかどうか。武器も弾薬も足りない。とてつもなく過酷な戦いだ」

隊長は険しい顔つきで言う。そして、ウクライナが置かれた状況をこう例えた。

「今、銃を持ったやつらが私たちの家に押し入って、家族を殺し始めたのに、『これで何とかして』と近所の人たちが差し出したのは野球のバットだ。各国が外交ゲームを繰り返している間にも、市民と兵士が犠牲になっている」

砲撃のあまりの激しさに、住民はすべて別の町に避難。村は無人となっていた。兵士とともに誰もいなくなった家に入ると、台所には食べ残したパンや洗いかけの食器がそのままになっていた。急いで避難した様子が窺える。住人はどんな思いで、この村をあとにしたのか。無事なのだろうか。ずっと気がかりだった。

その後、ロシア軍はヘルソン西部から撤退し、村を含む地域はウクライナ軍が奪還。今年6月、私は再びノバ・ゾリャ村に向かった。

へルソンの前線拠点の村を守っていたオレグ隊長(左)。右は筆者(22年8月、ノバ・ゾリャ村/撮影◎坂本卓)