砲弾の直撃で壁が崩れ落ちた家。戦闘が収束しても家屋が修復できず、帰還できない住民も多い(以上、ノバ・ゾリャ村/撮影◎筆者)

変わり果てた村の姿に……

でこぼこの農道が、車を大きく揺さぶる。家々の屋根はことごとく抜け落ち、壁は崩れたままだった。車を降りてしばらく歩くと、見覚えのある家があった。昨夏、私が兵士と一緒に入った、あの家だ。ドアをノックすると、白髪の女性が出てきた。

私がようやく出会うことができたのは、ナターシャさん(72歳)という女性だった。避難していた町から2週間前に戻ったばかりとのことだった。ここを脱出したのは、昨年4月下旬。砲撃が日増しに激しくなり、村を離れることを決めた。雨が降るなか、隣人の車に乗せてもらい、町に向かった。慌ただしい脱出。持ち出せる荷物は何もなかった。

この時、代わって村に入ってきたのが、オレグ隊長の部隊だった。22年11月にロシア軍がこの一帯から撤退するまで、彼らが村を守り抜いた。

戻ってきた村の変わり果てた姿は、ナターシャさんの目にどう映ったのか。

「人生を懸けて、努力してこの家を建てましたから、胸がえぐられるようです。なぜこんなことが……」

水道とガスはまだ復旧しておらず、給水車が水を供給する。住民の帰還が進まないのには、ほかにも理由があった。村の至る所に不発弾が残っているのだ。家や庭で不発弾が見つかると、爆発物処理班が撤去してくれるが、広大な畑までは手が回らない。農家の生活再建には、まだほど遠い状況だった。