お笑い芸人のアンガールズ・田中卓志さんが初エッセイ集『ちょっと不運なほうが生活は楽しい』を著しました。今年で芸歴23年、今までの人生を振り返った内容は、思わず笑ってしまう話から胸を打たれる出来事まで悲喜こもごも。今回は、ビビる大木さんとのエピソードについて綴った「待て! そこの新選組!!」をご紹介します。

ビビる大木さんとの関係

芸人になると、先輩との付き合いの中でいろんなことを覚えていく。

僕が若手の頃、一緒によく遊んでもらっていた先輩は、ビビる大木さん。

既に大木さんは売れまくっていて、売れっ子の大木さんに、週に3回くらいは美味しいご飯を奢ってもらったり、その後銭湯に連れて行ってもらったり、レンタルビデオ屋さんで映画を借りて一緒に観たり。僕自身は芸人としての仕事はゼロだったけど、テレビに出ている人と一緒に過ごすことで、何だか自分も売れているような気分になっていたと思う。

そんなに色々お世話になっているのに、僕が大木さんにしてあげられることは何もない。その代わりになっているのかわからないけれど、大木さんが遊びたいと思った時に呼ばれたら、すぐに飛んで行って相手をするようにしていた。

若手芸人は自分のスケジュールを先輩に全て渡すことで、先輩との需要と供給のバランスを取るのだ。

一緒に過ごす中で、テレビの世界のことも教えてもらった。

当時の僕が一番びっくりしたのは、大木さんがテレビの番組に出るために、ものすごく準備をしていた姿だ。

それは年末の特番で、タレントさんが記憶力を競い、芸能人100人の血液型、星座、干支を覚え切れるか? という企画。

大木さんはその企画にチャレンジするタレントの一人として出演することになっていた。

収録の1週間前から毎日ファミレスに呼び出されて、僕が問題を出して、大木さんが答える。

それを夜中まで繰り返して、大木さんは眠い目を擦りながら覚えていき、1週間でほぼ完璧に仕上げていた。そして本番、大木さんは見事優勝を勝ち取った。

素人同然だった僕は、タレントさんはいつも楽しそうで、クイズで賞金をもらったり、ワイワイ騒いでいて楽にお金を稼げていいなぁと思っていたけれど、一つの番組に出るためにここまで努力することがあるのだと、衝撃を受けた。

仕事が大変になっても、この時の大木さんの姿を思い出して頑張れるくらい、今でも印象に残っている。