小牧・長久手の戦いとは
先生の解説に基づいてあらためて史実を確認すれば、合戦は天正12年(1584年)3月から11月にかけて秀吉と織田信雄・家康の間で行われ、特に尾張北部の小牧山城・犬山城・楽田城を中心に激しい戦いがあったとされます。
時系列を追うと、まず3月に織田家臣だった池田恒興が秀吉軍として参戦、犬山城を占拠します。家康はこれに対抗するため、犬山城にほど近い小牧山城へ向かいました。
局地戦を経て家康は小牧山城を占拠しますが、その後には秀吉が犬山城へ入り、膠着状態に。
状況を打開するべく、池田恒興、森長可、堀秀政、羽柴秀次ら2万の秀吉方が三河に向けて進軍(いわゆる「中入」)を始め、徳川方の丹羽氏重が守る岩崎城を攻め落とします。
しかし、岩崎城の攻防で疲弊した秀吉方はここで進軍を止め、討ち取った者達の首実検を始めた。そのために、徳川方に池田・森ら有力武将が討ち取られることになり、結果として秀吉方が敗北した…などとされます。