お菓子(アントルメ)。それは不思議な概念だ。
 洋菓子にせよ、和菓子にせよ、人が生きていく上で、それらは決して必要不可欠なものではない。けれど、なにかおめでたいことや嬉しいことがあるとき、古(いにしえ)から人々は甘いお菓子を希求した。
 砂糖が世界中に広がったのは、十一世紀から十三世紀にかけての十字軍の遠征が、きっかけの一つだったと言われている。だが当時は、貴重な砂糖を使うお菓子は、一部の特別階級の人たちしか口にすることができなかった。
 それを庶民に広げるために大きな役割を果たしたのが、修道院や寺院だったのだそうだ。今もヨーロッパやアジアのあちこちに、修道院や寺院直伝のお菓子のレシピが残されている。古今東西を問わず、甘いお菓子は神や仏の祝福と共にあったのだ。
 日々の糧とはまた違う、祝祭の特別なご馳走。
 西洋に於いては誕生日やクリスマスに、東洋に於いては節句や彼岸に、人々は日頃は口にすることのできない貴重な甘味を、神仏や先祖に祈りを捧げながら口にした。
〝涼音、お菓子はちゃんと味わって食べなきゃいけないぞ。寝っ転がってテレビを見ながら食べたり、だらしなく際限なく食べたりしちゃ駄目なんだ〟
 甘いお菓子が神仏の加護と共に庶民の間に広がっていったことを知ったとき、涼音は大の甘党の祖父の言葉を思い出した。
〝お菓子はな、ご褒美なんだ。だから、だらしない気持ちで食べてたら、もったいない〟
 戦災孤児だった過去を持つ祖父の滋(しげる)から、涼音は常にそう言い聞かされて育ってきた。ご褒美は、受け取る側も誇りを持たなければならないのだと、祖父は語った。
 涼音がお菓子に特別な思い入れを持つようになったのは、間違いなく祖父の影響だ。
 喜びの祝祭に欠かせない、大切なご褒美。それこそがお菓子の神髄。
 甘いお菓子に込められた祈りと幸いを、余すことなく味わい尽くし、且つ、周囲にも伝えたい。そのためには、どんな努力も惜しまない。 
 たった一人で厨房に残り、熱心にガトーやジュレを試作している達也の姿を見たとき、出会った当初は反発を覚えた相手の中に、自分と同じ願いが宿っていることに涼音は気づいた。
 無愛想で、いささか人当たりが悪いけれど、努力家で、本当は優しい。
 そんな三歳年上の不器用なシェフに、どうしようもなく惹かれた。
 自らの抱える障碍を押して、達也が渡仏することを決めた際、涼音はいつか自分の思いを彼に伝えたいと心に決めた。達也が達也の本当の舞台に上がったとき、その眼差しの先に、しっかり立っていられる自分でありたいと。
 その願いは、どうやらかなったと言えるのだろうか。

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