日本のインドの報道の不十分な点

――日本人のインドへの関心のひとつとして、近年「インド式計算」もブームです。インド人の子どもたちは掛け算九九にとどまらず19×19までの二桁かけ算を暗算でできるといわれていますが、現地でその計算力の高さを実感することはありますか?

日本での語られ方はやや神話的なところがあります。インドの学校で勉強すればみんな数学ができるようになると信じて、インド・インターナショナル・スクールに通わせたいという親御さんたちさえいるらしいですが。

かつては、街角の商店主もオートリキシャ(編集部注:インドで使われる三輪タクシー)の運転手も、みんなお釣りの計算くらいはお手の物でしたが、いまではキャッシュレスの時代になっていますので、日本でもそうですけど、これからは逆に計算なんてできなくても問題ないということになってしまうかもしれませんね。

『インドの正体』(著:伊藤 融/中央公論新社 )

――日本のインド報道で、足りない視点はなんだと思いますか?

メディアもまだインドを観察する態勢が十分に整っていないのが現状です。とくに日本のメディアは遅れていて、主要全国紙でもインドの駐在記者がデリーに一人しかいないというところは多いですし、その一人で、インドどころか、パキスタンやアフガニスタンから、バングラデシュ、スリランカなど南アジア8ヵ国全部をカバーしている状況です。それでは、なかなか正確な情報は得られないでしょう。

態勢の不十分さとも関係しますが、インドの報道に関しては、最初からストーリーのようなものが作られており、ITをはじめとした経済成長とカースト制や農村の貧困といった二面性を浮き彫りにするというのがお決まりになっている印象があります。もちろんそうした面はありますが、それだけが現実ではないでしょう。たとえば、国境付近のカシミールやラダックとか、マニプールで起きている紛争や諸問題、あるいは今年イギリスのBBCが報じたようなモディ政権のマイノリティ抑圧のような問題は日本ではほとんど知られていません。