自国の呼称を「インディア」から「バーラト」へ

――G20ではインドが、自国の呼称を「インディア」から「バーラト」に突然変更したことが話題になりました。ここになんらかインドの意図や変化を感じますか?

 「バーラト」はヒンディー語をはじめインドの諸言語でインドを意味する言葉ですし、これまでも一般的に使われてきました。ただ、対外的に、外交の現場では英語の「インディア」を使ってきました。とくにG20の晩餐会の招待状とか、モディ首相の国名ネームプレートに、ヒンディー語の表記で書くならともかく、わざわざ英語の表記で「バーラト」と書くのは変な話です。JapanをNipponと書くようなものですから。

なぜ突然こんなことを試みたのか? 基本的には来年2024年春の総選挙に向けて、国内のヒンドゥー・ナショナリスト勢力の歓心を買うという動機が大きいのではないでしょうか。本当はそんなことはないのですが、ヒンドゥー団体のなかには、「インディア」という英語はイギリスが植民地時代に押し付けた呼び名であって、自分たちのものではないと信じている人たちがいるようです。その英語名を排除して、「バーラト」に変えて、真の独立を成し遂げようという主張に喝采を浴びせる向きもあるようです。

くわえて、ちょうどG20サミットの前にINDIAと称する野党結束の動きがありました。こうしたことから、「インディア」を否定し、与党インド人民党(Bharatiya Janata Party)の名称にも使われている「バーラト」を使ってみよう、と考えたのではないでしょうか。

しかし、はっきり言って、外交的にはそんなことをすれば、マイナスの部分が大きすぎます。考えてみてください。インドという言葉で、私たち日本人も含めて連想するものは、インド料理とか、インド映画とかたくさんあります。それがインドのソフトパワーの源です。いきなり名前を「バーラト」に変えても、世界のほとんどの人はピンと来ないでしょう。

映画大国インドのシネマコンプレックス(著者撮影)

それに、インド政府の推進する「インクレディブル・インディアという観光キャンペーン、モディ政権自身が鳴り物入りで始めた「メイク・イン・インディア」はどうなるのでしょう。どれも韻を踏んだ言葉だから意味があったわけです。「バーラト」では何の意味もありません。