実質的な江戸幕府の始まり
それから、公儀が2つあるという考え方。これは原点に立ち返って、武士社会を貫く大原則、「主従制」を今一度思い出せば、容易に反論が可能です。
従者は主人に命を投げ出して仕える(「奉公」)。主人は従者に土地などを「ご恩」として与える。ご恩と奉公の関係ですね。
家康は関ヶ原での勝利の後、大坂城を接収して、全国の大名に新たに領地の配分を定めました。敵方についた大名からは土地を奪い、味方の武将には土地を分け与えた。
豊臣秀吉との間に結ばれた主従の関係はいったんここで破棄され、徳川家康とのあいだに改めて設定されたのです。ですから、江戸幕府は実質的にここから始まっている。
一方で、秀頼は大名に何を与えられたでしょう? 何もありません。
いや、刀とか茶器、動産は与えられたかもしれませんが、やはり「ご恩」の本筋は不動産、領地なのです。それは鎌倉時代から変わっていない。そうすると、秀頼が公儀だといっても、空しい。