「教師という仕事に全力で打ち込んできた母は、私が仕事をおろそかにすることを何よりも嫌がりました」

男社会に果敢に飛び込むカッコイイ母

私の母はお酒が大好き。数年前も、地元のバーベキュー大会で飲み過ぎたせいで自宅で転び、強打して腫れあがった顔面のまま、しかも二日酔いの状態でデイサービスに行き、スタッフを慌てさせました。(笑)

私が幼いころからお酒をよく飲んでいましたが、その理由が好き以外にもあったことは後から知ったのです。母が教師になったばかりの頃は、まだまだ強固な男社会。職員会議を開いても、男の先生どうしが目くばせで「じゃあこの後ちょっと行きますか」と合図をし合い、翌朝母が「昨日の件はどうなりましたか?」と聞くと、「ああ、あれはもう決まりました」とあしらわれるのが常だったそうなんです。

大事なことが会議の後の居酒屋で、しかも男だけで決まっていく理不尽が許せなかった母は、それ以降「私も行きます!」とついて行って一緒にお酒を飲み、議論に参加したのというのですから、すごい行動力ですよね。同じ理由で麻雀も覚えたと聞いたときは、なんてカッコイイ人なんだろうと惚れ惚れしました。

父と結婚してからも教員仲間としょっちゅう飲みに行っていた母でしたが、飲み会がなければ早く帰宅するかと言えばさにあらず。予定がない日は、父と外で待ち合わせて飲みに行っちゃうんです(笑)。そこで日本の政治がどうだとか、労働運動がどうだとか、はたまた理恵の教育はどうするなんて話題で盛り上がる。

両親が帰って来ないので、祖父と2人で夕食を作って食べることもしばしばでした。議論が白熱しすぎて、帰宅する頃には大抵大喧嘩になっているものの、人間として互いに認め合っている、本当に仲のいい夫婦だったと思います。

子どもの頃は「どうしてうちは他の家と違うんだろう?」と不満に思っていましたし、いつも家にいて、学校から帰るとおやつを出してくれるようなお母さんに憧れてもいました。うちはテーブルの上に10円が置いてあるだけでしたから(笑)。でも大人になってからは、そんな母のことを自慢に思えるように。戦後の男社会でバリバリ活躍していた母は、まさに働く女性の先駆者。本当にカッコイイです。

柴田家、家族3人で(写真提供:柴田理恵さん)