あんたの人生はあんたのもの
実は父が亡くなったとき、母に聞いたことがあるのです。
「よかったら、東京で一緒に暮らさない?」と。
母はその提案を「絶対に嫌だ」と言下(げんか) に断りました。
生まれ育ったところが、自分にとっては一番大事。ここには大切な友人や知人がたくさんいるし、やりたいこともある。だから自分はここを離れない。そもそも自分の人生は自分のもので、あんたの人生はあんたのもの。
あんたが仕事を辞めたり減らしたりして、私の介護をするなんてことは考えてくれるな。あんたはあんたの人生を生きなさい―。
母は強い言葉で、そう言いました。
要するに、母には私の知らない大事なコミュニティが富山にあるのです。それを断ち切って東京でゼロから人間関係を築くなどあり得ない。見知らぬ土地で孤独に陥るのが目に見えています。
それに東京へ来てしまえば、子どもたちや地域の人たちにお茶や謡を教えられなくなる。それは教師を退職後の母にとってかけがえのないもので、文字通り生きがいになっていました。
母の大切なものは、みんな富山にあるのです。それを無理やり奪うことはできないし、やってはいけないことだと思いました。