その後、本人たちの知らぬ間にお嫁さん候補に上がっていたようなのです。年が明け、後援会のお世話好きな方から「結婚を前提に会ってみない?」と言われ、驚きました。

当時の私はテレビドラマに夢中で、プロ野球なんていっさい観ていません。東京六大学野球のスターで、ドラフト1位で阪神に入団し、プロ野球の新人王に輝いた岡田彰布(あきのぶ)という選手のこともまったく知らず、「へー、有名人なんだ」と思うくらい。

迷いましたが、夢中になっていた『想い出づくり。』というドラマを思い出し、「有名人に〈振られる〉のもいいかな。私も想い出づくりをしよう!」とお会いすることにしました。流行りの「ハマトラ」を着こなすお洒落な女性でもない私が選ばれるわけない、と軽い気持ちだったのです。

大阪のバーで二人きりで会ったのですが、自主トレかキャンプで疲れていたのか、横に座っても眠そうで、ほとんど喋らない。二人でだんまりしながら、「こんなに沈黙が平気な人、初めて見た。根性あるな!」と思いました。ただ、私の帰りの新幹線のチケットを買って、ハイと渡してくれた時は、「優しい人なのかも」と――。

もう会うこともないと思っていたら、間に入ってくださった人から「また会いたいそうです」と。その後、キャンプ中の本人から電話がかかってきましたが、何も話さず「……」。電話代がもったいない!と、私の日常を一方的に話したりもしましたね。

結婚を決めるまでに実際に会ったのは5回ほどです。夫はどうして私と結婚したのか。もしかしたら野球選手としての彼を知らず、「あ、どうも~」と普通に接していたのが、逆に新鮮だったのかしら。まあ、直接聞いても、絶対に教えてくれないとは思いますが。

私のほうはというと、最初の「だんまり」から興味をそそられ、「おもしろい人だな」「今まで出会ったことのない不思議な生き物だな」と感じたことですね。それは40年以上経った今でも変わりません。(笑)

初めて会ってから2ヵ月足らず、82年3月1日に、婚約発表記者会見を開くことになりました。球団から「記者会見を開きますよ!陽子さんも出席してください」と言われ、エーッと。混乱の中だったので、話したことはまったく覚えていませんね。

そして同年12月、占い通りに私が23歳、夫が25歳の時に結婚しました。縁をつないでくださった石坂浩二さんに、私たちの似顔絵を描いていただき、それを結婚式の引出物の時計にしたのも大切な思い出です。