「家を出たらしばらくは悲しいんだろうな、と想像していたのですが、やってみたらなんのなんの。新しい世界が広がったみたいで、毎日がすごく楽しいです」(撮影=宮崎貢司)
年を重ねてからの住み替えは、気力と体力が必要です。長年の在宅介護を終え、70代後半で引っ越しを決意した松島トモ子さんに、母との思い出の詰まった一軒家を手放したわけを聞きました。(構成:平林理恵 撮影:宮崎貢司)

主なき家は廃墟だ、と感じて

この春、住み慣れた目黒の一戸建ての実家を手放して、マンションに移りました。77歳にして人生で初めての引っ越しです。決意した当初は、チェーホフの『桜の園』を思い浮かべながら、自分を悲劇のヒロインみたいに思ってね。

家を出たらしばらくは悲しいんだろうな、と想像していたのですが、やってみたらなんのなんの。新しい世界が広がったみたいで、毎日がすごく楽しいです。

引っ越しを決意したのは、5年5ヵ月の間自宅で介護していた母を看取ったことがとても大きかったと思います。

私は満洲の生まれ。父は私の顔も見ないまま戦地で病死し、母は乳飲み子だった私を命懸けで日本に連れ帰ってくれたのです。そして住むことになったのが、目黒の母の実家でした。

大きなお家で、何回か建て替えましたけれど、あの家の主役は母。1階には40畳ほどの稽古場があって、そこに50人くらいのお客様を招いてしょっちゅうパーティーをしていました。

祖父は商社勤めで海外生活が長く社交の場に慣れていたし、母もそういうことがすごく好きで、おもてなしも上手。おしゃれできれいで、私の自慢でした。

私が4歳で子役として仕事を始めてからは、常にそばにいて私を支え、女手一つで芸能界の猛者たちと交渉する才覚も豪快さもあった。とても肝の据わった人で、私は母を尊敬していたし憧れてもいました。