「シンガー・アニソン・ライター」の登場
ともあれ、オープニングやエンディングの主題歌をシンガーに作らせる、という発想は、当時のアニメ業界にはまったくなかった。作る人と歌う人は、完全な分業体制にありました。でも、今は、シンガーを選ぶ前の曲作りの段階から、アーティストたちが参加し、コンペを実施して、そこで歌が決まるスタイルが主流です。
つまり「シンガー・アニソン・ライター」が登場してきたのです。
専業の「先生」と呼ばれる作家だけが、全部のジャンルのアニソンを作って、歌手に歌わせるのではなく、先生と並んで色々なアーティストが、自分の得意な分野のアニソンを作って、自分で歌うところまでを担当する方が普通になってきました。それと同時に、サイキックラバーや高取ヒデアキ君のように、ロック色の強いアーティストも多く参入してきました。
俺がリーダーを務めるJAM Projectもこの流れの中で誕生したグループです。
かつて俺がいた「歌謡曲」の世界は、自分で作って歌うニューミュージック勢の台頭に押されて、次第に縮小を余儀なくされていきました。「借り物の歌」だけを歌っていてはアニソン界にもそれと同じことが起きると、人々が気付き始めたから起こった当然の変化だと、俺は分析しています。
やはり、自分で作ったものは、人に作ってもらったものより、格段に説得力がある。人の心に訴えかけるパワーがあるんです。アニソンに限らないことですが、自分が歌いたいものを歌おうとしたら、結局は、自分で作るしか方法はないと俺は思う。色々な種類の才能が参入することによって、アニソンの彩りはぐんと豊かになり、幅も広がりました。
※本稿は、『ゴールをぶっ壊せ』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
『ゴールをぶっ壊せ』(著:影山ヒロノブ/中央公論新社)
16歳でデビューしたバンドは4年で解散。そこからノーギャラライブや15年にわたるアルバイト生活を経て、今頂に立つ、アニソン界のパイオニア・影山ヒロノブ。苦難の先で出会った「聖闘士神話~ソルジャー・ドリーム~」「CHA-LA HEAD-CHA-LA」、アニソンレジェンド、そしてJAM Project。なぜ諦めなかったのか? なぜファンは、そして世界は彼を愛するのか? だからもっと熱くなれ! その手で夢をつかみとれ!