NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』。その主人公のモデルである昭和の大スター・笠置シヅ子について、「歌が大好きな風呂屋の少女は、やがて<ブギの女王>として一世を風靡していく」と語るのは、娯楽映画研究家でオトナの歌謡曲プロデューサーの佐藤利明さん。佐藤さんいわく「日中戦争が3年目を迎えた1940年ごろ、シヅ子を取り巻く事態も徐々に悪化していった」そうで――。
国際情勢の緊迫
SGD(松竹楽劇団)のステージが、良い意味で「ジャズ寄り」になって、服部良一と笠置シヅ子コンビにとって、充実の日々が続いていた。
皇紀2600年の奉祝ムードに沸き立つ1940(昭和15)年、日中戦争は3年目を迎え、ますます泥沼化していた。
SGDが帝劇で公演を開始する同月、1938(昭和13)年4月1日、第一次近衛文麿内閣で「国家総動員法」が公布された。
翌1939(昭和14)年2月に発足された平沼騏一郎内閣は「官民一体ノ挙国実践運動」を打ち出し、国民に「前線の労苦を思えば」と「耐乏生活」を強いた。政府による統制経済が始まったのもこの頃からである。
さらに1939年9月1日、ナチス・ドイツのポーランド侵攻で、ヨーロッパでは第二次世界大戦が勃発、国際情勢が緊迫するなか、ドイツの快進撃に倣って、日本でも強力な指導体制を形成する必要があるとする「新体制運動」が盛り上がった。
この「新体制運動」は、音楽や映画の世界にも波及して、時局に相応しくない派手な歌曲や、扇情的な流行歌は人心を乱すと、槍玉に挙げられ、検閲もますます厳しくなっていった。
そうしたなか、1940(昭和15)年7月7日には「奢侈品等製造販売制限規則」が施行された。「ぜいたく禁止令」と呼ばれた「七・七禁令」である。