やめる時は、ぼくも一緒だ
翌日、シヅ子は麹町に住む松竹創業者・大谷竹次郎の養子で常務、SGDの責任者の大谷博の自宅に呼ばれ「なぜ、東宝と契約したのか?」と叱責された。
シヅ子はそのまま、大谷夫人に付き添われて、神奈川県葉山町の別荘へ。東宝との接触を避けるためである。
この時、シヅ子は26歳になっていたが、OSSKやSGDの劇団内のことしかわからず、戸惑っていた。
そこでシヅ子は、芝区白金町に住んでいた服部良一に電話をかけて「どうしたらいいでしょうか?」と相談した。
服部はしばらく考えて「事を荒立てないように」と言った上で、翌月公演で上演予定の楽曲の譜面を葉山に届けてあげると、まずはシヅ子を落ち着かせた。
「君がいなくては、ぼくも作曲や編曲をする甲斐がなくなるし、松竹楽劇団にいる意味がなくなる。やめる時は一緒にやめるから、ぼくに任せておきなさい」。
「辞める時は一緒に」という覚悟は本音だろう。
服部はその覚悟を持って、松竹トップに話をして、笠置の東宝との契約を撤回しようと奔走した。その甲斐あって、この騒動はひとまず決着をみた。
結局、シヅ子は、23日間、葉山の大谷の別荘で過ごし、翌月の10月から浅草・国際劇場のステージに立っている。