引き抜き合戦

この頃、映画界やショウビジネスの世界では、人気スターの引き抜き合戦が繰り返されていた。

松竹映画のトップスター・林長二郎が、1937(昭和12)年に東宝に移籍、長谷川一夫と改名するが、この時は映画スターの生命である林長二郎の顔が、暴漢によって斬られる「顔斬り」事件が起きている。

また、吉本興業の人気ボーイズ・グループ・あきれたぼういずが、新興キネマ演芸部に引き抜かれ、リーダーの川田義雄だけが吉本に残留するという事態が、1939(昭和14)年に起きていた。

そうしたこともあり、松竹は笠置の引き抜きに対して、相当怒った筈だが、服部の配慮もあり、大事には至らなかった。

10月、浅草・国際劇場、渋谷松竹映画劇場での「轟け凱歌──世界の行進曲」(全8曲)から笠置シヅ子がSGDに復帰した。

演出は大町龍夫、作曲・編曲は服部良一、出演メンバー、スタッフともにいつもの布陣だったが、この公演は時局を反映したものとなった。

軍事歌謡「暁に祈る」(作詞・野村俊夫、作曲・古関裕而)が大ヒット中のコロムビアの歌手・伊藤久男の特別出演による「世界の行進曲」をテーマにした勇壮さが売りのショウとなった。