「ジャズ曲を使わぬショウにしてほしい」

あるとき、服部良一が、ベートーベンの「運命」やシューベルトの「野ばら」をジャズ・スタイルで演奏すると、都新聞がこれを批判。情報局の検閲官から非難を受けた。

『笠置シヅ子ブギウギ伝説』(著:佐藤利明/興陽館)

これに辟易した服部は、松竹少女歌劇団からSGD(松竹楽劇団)に参加して服部のサポートをしていた古城潤一郎に、「ジャズ曲を使わぬショウにしてほしい」と作・演出、選曲の全てを任せることにした。

そこで古城はクラシックを多用したステージ「森」を創作、「ウィーンの森」「アルルの女」「ツィゴイネルワイゼン」などのクラシックをアレンジ、SGDスタイルの歌とダンスのショウなった。

こうして時局はSGDからジャズ・ソング、モダンなテイストを奪い、1941(昭和16)年正月の邦楽座「桃太郎譚」を最後に松竹楽劇団(SGD)は解散することとなる。

笠置シヅ子はこの最後の公演には参加していなかった。