あれから17年、まだのんびりできません

ステージは年間100本くらい。日本全国津々浦々を飛びまわっております。沖縄の石垣島に行ったかと思えば、次は秋田。鹿児島に行ったあとに北海道。移動のために飛行機や新幹線に乗っている時間も長く、68歳という私の歳から考えると、相当にハードな生活かもしれません。

そういう日々ですので、河口湖畔の自宅にいられるのは、ひと月に1週間あればいいほうでしょうか。3、4日だけ、ということもあります。

河口湖に家を建てたのは27年前、42歳のとき。その頃の私は大物演歌歌手の方の歌謡ショーやディナーショーの司会をするかたわら、漫談家を目指しておりました。ところが、いっこうに売れない。そこで思いきって東京から山梨に居を移し、河口湖のほとりで富士山を見ながら、のんびり暮らそうと思ったのです。畑仕事でもしながらね。

40代でのんびり暮らすとは早すぎますか? いや、私、若い頃から考え方が年寄りでしたから。はい、顔も、頭髪も、老けておりました。

そんななか、最後の賭けのつもりで、漫談を録音したカセットテープを、高速道路のサービスエリアで観光バスの運転手さんやガイドさんに無料でお配りしたのです。それをきっかけにレコード会社からCD化のお話があり、大ヒット。ブレイクへとつながります。司会業、漫談と下積み生活30年。ブレイクは52歳のときで、人生、何が起こるかわかりません。

「あれから40年~」は、私の漫談でのおきまりフレーズですが、あれから17年──70歳を目前に、今、私は河口湖でのんびりどころか、漫談でお笑いを届けるために、日本中を駆けまわっているのでございます。

おかげさまで、ステージのチケットはいつも完売。私は中高年の方々をネタにした漫談をしておりますが、ブレイクし始めの頃、20代だった若い方々も、今や40代、子育てを経て立派な中年となっております。そして、あの頃、40代だった人は60代となり、高齢者まっしぐら。70代、80代だった人は……会場に来られなくなっているかもしれませんが。(笑)

ともかく、言葉は悪いのですが、歳月の経過とともに人々はトコロテンのように若者グループから押し出され、あちらこちらで中高年が養殖されているのです。私もそのひとりとして先頭に立ち、養殖場の中高年のみなさまに餌を与えている、といったところです。