(撮影:婦人公論.jp編集部)
NPO法人「高齢社会をよくする女性の会」理事長の樋口恵子さんによる『婦人公論』の新連載「老いの実況中継」。91歳、徒然なるままに「今」を綴ります。第11回は、【かたわらにはいつも猫が】です──。(構成=篠藤ゆり イラスト=マツモトヨーコ)

戦争中は犬まで供出の運命に

いま我が家には4匹の猫がいます。上から17歳、14歳、3歳と2歳。上の2匹は私が看取ることができそうですし、若い2匹は娘が引き受けてくれます。4匹とも、最後まで責任をもって飼うことができる手はずです。

今年4月、『徹子の部屋』に呼んでいただいた際、4匹の写真も紹介していただきました。「『徹子の部屋』に出られる猫なんて、そういないんだから。飼い主に恵まれたと感謝しなきゃ~」と言って聞かせたものの、「なんのことやら」といった顔をしていました。

子どもの頃から、動物は身近な存在でした。ただし父は犬派だったので、わが家の最初のペットは犬。兄の同級生に文部大臣の秘書官のご子息がいて、その家のイングリッシュセッターが子どもを産むことに。6匹生まれる予定で引き取り手も決まっていましたが、生まれてみたら8匹。ご縁があって、そのうちの1匹を我が家で飼うことになりました。

立派なご家庭からやってきたので、わが家では「シロウさん」と、さん付けで呼んで敬っていましたが、3歳のときに近所の畑で誤って殺鼠剤を口にし、亡くなってしまいました。

あるとき、国から「犬は贅沢品である」「飼うことならぬ」というお達しが出されました。戦況が厳しくなり食料難のなか、多くの犬が供出させられたのです。大きな犬は軍用犬に。中型犬以下は殺処分され、軍隊の防寒着用の毛皮や食肉にされたといいます。

私の親しい友人の家でも、かわいがっていたチロという名の犬を手放さざるをえなくなりました。当時、犬は庭に小屋を作って飼うのが一般的。彼女の家でも、ふだんは玄関の三和土から先は入れないようにしていました。

でも別れの前の晩はチロを家に入れて座布団に寝かせ、その両脇に付き添うようにして友人とお兄様が一緒に寝たそうです。私も遊びに行ってよくチロを撫でていたので、その話を聞いて泣いてしまいました。