源頼朝は三番目の男子だった

これを「後継ぎ」問題に落とし込むとどうなるか。

儒学は古代日本にも影響を与えていましたので、兄弟がいたら「長子」が重んじられる風はありました。一番上のお兄さんが家を継ぐ。その事例は枚挙にいとまがありません。

けれども日本史では「お母さん重視」の事例も多く見られます。例えば源頼朝。彼は父の義朝にとって三番目の男子でした。

でも、お母さんが貴族だったので(上皇の近臣でもある熱田大宮司家のお嬢さん)、義平・朝長の2人の兄を差し置いて、生まれたときから「後継ぎ」として育てられました。

一夫多妻であるときには、「正室」の存在も重要になってきます。藤原道長やいま記した源義朝の場合には、複数いる妻のうちで「だれが正妻か」という意識は希薄です。「だれが一番、格式のある家の出身か」と妻たちを比較することはあっても、「この人が正妻」という決定がハッキリと示されることはなかったと思います。