子の「正解」と親の「正解」が違うとき
『親不孝介護 距離を取るからうまくいく』(日経BP)という本を書かれた川内潤さんが、こんなふうに語られていました。
「心理的に子どもにとって、親はいつでも帰れる安全地帯なんです。親の老化は『自分の安全地帯』が崩れていくのを目の当たりにすることになる」(『日経×woman』)。
なるほど、その通りだなあと思います。
病気になったり、体に不具合が出たり、体力がなくなったり。親の老いは子供にとって「初めて」のことばかりです。だから、ことが起こる度にオロオロしたり、心配したり、不安に押しつぶされそうになったり……。
初めてのプチ介護から2年。いろんなことがあったけれど、ひとつクリアする度に、ひとつ学ぶ。そんな繰り返しだなあと思います。そして、そんな両親の姿は「老いる」とはどういうことなのかを、見せてくれているようで、私は自分自身の「老い」を両親から学ばせてもらっている気がします。
『おへそ』の取材に協力くださった藤澤ご夫妻は、それぞれのお母様を自宅のすぐそばに呼び寄せて、食事や通院のサポートを続けてこられたそうです。でも、認知症が進んだり、高齢でひとり暮らしが難しくなったりで、お母様ふたりに別々の高齢者施設へ入ってもらったばかりです。
相談にのってもらっていたホームドクターに、「罪悪感を持っちゃダメ。自分たちの暮らしを大事にしないと、立ち行かなくなっちゃうよ」と言われた言葉が大きな支えになったのだとか。
もし、私だったら……と考えました。母はなんとか納得してくれるだろうけれど、父は施設に入ることを絶対に嫌がるだろうなあ。嫌がるのに無理をして入ってもらったら、私はきっと罪悪感を抱いてしまうんだろうなあ。頭では理解していても、自分の身に置き換えてみると、そうは簡単に心を切り替えることはできなそうです。
でも、もし両親どちらかがひとりになって、生活がおぼつかなくなったとき、私がまた行ったり来たりすると、いつ終わるかわからないその状況に、自分を消耗してしまいそう。安心して24時間きちんとケアしてもらえる環境を整えた方がいいのかな?
私にとっての「正解」と、親にとっての「正解」が違うとき、どうやって、ふたつを擦り合わせたらいいのでしょう? 考えれば考えるほど途方に暮れてしまいます。