人が苦しくなってしまう理由
最近、大河ドラマにハマって、アマゾンプライムで『鎌倉殿の13人』や『西郷どん』など、過去に遡って見ています。
今は、福山雅治さん主演の『龍馬伝』を見ている最中。大森南朋(おおもりなお)さん演じる武市半平太は、「攘夷」という理想をかかげ、「土佐勤王党」を立ち上げます。外国人を討ち日本を守る。そのためには朝廷を動かさなければと、邪魔をする者は切り捨てもします。
一方龍馬は、土佐藩という枠を飛び出し、日本が外国と対等に渡り合うためには、どうすればいいのか?と悩み、その方法を模索し、半平太と衝突するようになります。幼馴染で仲良しだったのに、共に日本のことを真剣に考えているのに、ふたりの「正解」はそれぞれ違う……。
でも、ひとつ言えるのは、半平太は自分の「正解」が絶対だと思い込み、その外側に、もっと違う正解があるのに見ようとしない。一方龍馬は、いろんな人の「正解」を拾い集め、並べてみて、「ちょっとしっくりこない」「わからない」と、自分が腹落ちできるまで、正解を求め続けていた、ということです。
自分の人生に、唯一無二の「正解」をセットしてしまったとたん、人は苦しくなってしまうのかもしれないなあ。「他にまだ答えがあるのかもしれない」と探し続けることで、そこに違う見方があると知り、世界は多様だと知り、もうひとつの「正解」を見つける可能性を手に入れる……。