両親の「老い」を感じて

なによりつらかったのが、昔とはまったく違ってしまった両親の「老い」の姿を目の当たりにしたということ。ああ、こんなこともできなくなったのね。こんなに体力なくなったのね。

『歳をとるのはこわいこと?――60歳、今までとは違うメモリのものさしを持つ』(著:一田憲子/文藝春秋)

これまで、実家に帰ると、何歳になっても「娘に戻ることができる」と感じていました。親はいつまでたっても親で、子供を守ってくれる存在。そう思ってきたのです。その立場が逆転し、私が親を守ってあげなくてはいけなくなった……。そのことを受け止めきれなくて、苦しくてたまりませんでした。

ほんの1か月でしたが、私は4キロも痩せて、最近ではすっかりおさまっていた更年期障害の症状まで出てしまったのです。

無事母が退院してほっと一息ついていると、今度は脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)の症状が出て、激痛が走ると言います。「もうこんなに痛いなんて、生きていたって仕方ないわ」。めったに弱音を吐かない母の言葉を電話の向こうに聞きながら、胸がつぶれるようでした。

なんとか仕事を片付けて、実家に帰ってみると、部屋のあちこちにホコリが溜まっていました。あんなにきれい好きで、部屋の隅々までピカピカだったのに……。こっそり雑巾で拭きながら、痛みを抱えながら一日一日を過ごしていた母の姿を思うと泣けてきました。

その後、いいお医者様に出会い、ブロック注射を受けることになってやっと痛みがおさまりほっとしました。さらに要支援2の介護認定を得て、週2回ヘルパーさんに来てもらうようにもなりました。

私は、日々の家事の軽減化大作戦を実施。雑巾の代わりに掃除用のウエットシートやクイックルワイパーを買ってきました。雑巾を絞る力がなくなってきても、ウエットシートなら使い捨てにすることができます。今では、母はそんなグッズを上手に使い、なんとかひとりで掃除を続けています。

ゆっくりで時間はかかるけれど、大雑把な私よりもずっとひと拭きひと拭きが丁寧なので、再び一田実家は、我が家よりよっぽどきれいな状態となりました。