ホームランを打ち続けたい

こんな状況になって、改めて「ああ、もしかして、そういうことね」と感じています。そろそろ私は「それ」を認めなくちゃいけないって。

『歳をとるのはこわいこと?――60歳、今までとは違うメモリのものさしを持つ』(著:一田憲子/文藝春秋)

「それ」とは、悲しみと喜びは、共存するということ。人間は相反する価値観を同時に持ちながら生きていけるということ。つまり、病気であっても幸せになれる。お金がなくても豊かに過ごせる。仕事をしなくても楽しく暮らせる、ということ。

私は猪突猛進型の性格なので、ひとつのことに囚われると、他のことが見えなくなりがちです。

誰かにちょっと悪口を言われただけで、「私のことなんて、誰も好きじゃないんだ」と落ち込んだり、失敗をしたら「もう人生はおしまいだ」と引きずり続けたり。その上、優等生気質なので、理想を掲げたら、ゴールテープを切るまで頑張り続けなくちゃ、と思ってしまう。

つまり、0か100かの両極端で、50点で満足する、ということができません。でも、人生は、いつもホームランを打てるわけじゃない。なのに、私はずっと「ホームランを打ち続けたい人」だったというわけです。

今、病理検査の結果を待ちながら、もやもやとした状態で暮らしていても、朝起きたら、き〜んと冷たい冬空はきれいだし、毎日お腹はすくし、夫としょうもない冗談を言い合いながら大笑いしたりします。だから、きっとできるのだと思います。右手に悲しさや苦しみや悩みを持ちながら、左手に喜びや笑いや幸せを持ち、20点でも50点でも、そこそこ楽しく過ごすってことが……。