良いことと悪いことの落差が怖かった
今までの私は、何かがうまくいかなかったら、世界中が悪いことで満ちている、みたいな絶望的な気分に陥ってしまっていたのでした。それは、たぶん、その方がラクだったから。悪いことだらけの中、ほんの少しいいことがあれば、ほっと安心して「あ〜、やっぱ、よかったじゃん!」と喜ぶことができます。
反対に、良いことに手を伸ばして「ああ、楽しい〜!」と浮かれている最中に、「やっぱりダメだった」とわかると、よりがっかりします。私は、その落差の体験が怖かったのだと思います。
物心ついた頃から、極度の怖がりでした。それは、きっと優等生として育てられたから。ちゃんとしていなくちゃいけない。いい成績をとらないといけない。人から褒められなくちゃいけない。失敗しちゃいけない。幼い頃から刷り込まれた思いが強すぎて、そこからずれたり、落ちたりすることが怖い。
この「怖がり気質」が、人生のあらゆるところで顔を出します。いつもいい仕事をしていたいから、ちょっとアマゾンのレビューで悪いことを書かれると、どよ〜んと落ち込んでしまう。
どんなに稼いでも安心できないし、老後が心配になってしまう。みんなに好かれるなんて無理なのに、どうやら、あの人にあんまりよく思われていない、と耳にすると、気になって気になって仕方がなくて、しまいには逆に腹を立て「あの人なんて」とプリプリしてしまう、などなど……。
なんて「びびりんぼう」なんだろうと、自分でも情けなくなってきます。この怖がり気質が、いろんなことにストッパーをかけ、見たいものからあえて目を背け、聞こえてくるものに耳を塞ぎ、欲しいものに手を伸ばすことを躊躇させてきたのかも。
もっとおおらかに、みんなに好かれなくてもいいさ。稼げなくてもなんとかなるさ。ずっと上り調子でなくたっていいさ。と考えられれば、「こうもできるけど、ああでもいいよね」と、仕事の選び方、人との付き合い、これからの人生設計と、あらゆる場面で人生の選択肢がぐんと増えるんじゃないかなあ。
そうしたら、もっと気楽にもっと軽やかに、歩いていけるんじゃないかなあ。