こんなときの連絡は難しい
東日本大震災の時は東京にいたが、あの日の東京もかなり揺れた。当時娘は赤ちゃんだった。保育所に迎えにいくと、部屋の真ん中でみんなで丸くなって座っていた。石川や富山では小さい子やお年寄りのいるご家庭は特に不安でなかろうか。
わたしは娘の手を握って、同じ映画を観ていて隣にいて良かった、と思った。
夜、帰宅すると96歳の祖母が
「あんた、なんか知らんけど、窓がガタガタガタッと揺れるから、泥棒が入ったと思って、家が壊れるわと思ったから、一生懸命窓をおさえたわ」
と言った。再現しながらのよくわからない説明が可笑しかったが、一人にしていた時に何事もなくてよかったとほっとした。
夜遅くに、富山の親戚から「塀が壊れたけど無事」と連絡があった。心配でつい連絡してしまったが、それどころではなかっただろうと今になると思う。こんなときには送るタイミングも考えようと反省しつつ、無事を早く知りたいと思う気持ちもあり…難しいものだなと思った。
今年も家族が、友だちが、もっと広げれば知り合いが、もっと広げれば地元が、日本が、みんなが、無事に楽しい時間を多く過ごせますようにと願った。