22年10月、楽天ジャパンオープンで、憧れの国枝慎吾選手と(写真提供◎SportsPressJP/アフロ)

勝つためならどんなことも耐えられる

車いすテニスを始めて3年後、中学1年生の時に、18歳以下の世界No.1決定戦「世界ジュニアマスターズ」で優勝することができました。中学3年生の時には、世界ジュニアランキング1位に。そうしたこともあって、卒業と同時に「プロ宣言」をすることにしたのです。

海外遠征であまり中学校に行けず、このまま高校に進学しても登校できないことはわかっていたので、通信制高校を選ぶことに。

ただ、めちゃくちゃ悩みましたね。友だちは皆、全日制の高校に進学しますし、高校を卒業してからプロになってもいいんじゃないか、って。でも親に背中を押されて、15歳でプロになる決断をしました。父や母は、どんな時でも「お前ならできる」「お前なら勝てる」と常に励ましてくれる。僕が強気の姿勢になったのも、そんな両親に導かれたからだと思います。

車いすテニスが一般のテニスと違うのは、2バウンドまでの返球が許されていることだけ。それ以外はすべて同じです。

ほかの車いす選手は2バウンドを利用して攻めますが、僕はバウンドなしで返球するボレーが得意。常識を覆せば勝利の近道になると考え、技術を磨いてきました。でも、車いすの操作が難しく、体と車いすが一体化する感覚になるまで基礎練習を繰り返す必要があり、それが大変で。

本来僕は、同じ動作を繰り返す練習があまり好きではありません。それでも打ち込めたのは、勝つことへの執念が強かったから。勝つためなら、どんなにきつい練習でも耐えられます。