新自由主義の中で心が折れないために

佐藤 欲しい服があったのに高くて手が出せなかったといった類の話は、些事としてひとまずおきましょう。今の日本の子どもは、幼少期から「お受験」があり、塾や英会話教室やお稽古事なんかに通わされます。そうやって、「あのぶどうを取りなさい」と、周囲と競わされるわけですね。

ところが、そうやってぴょんぴょん跳ねても、中学受験では約8割の子どもは第1志望に入ることができませんから、12歳で人生の挫折を味わうことになります。私には、とても健全な社会の仕組みだとは思えませんが。

池上 そして、それが高校受験、大学受験と続いていくわけですね。ぶどうの木のてっぺんにある一番大きくて甘い果実は、さしずめ東京大学ということになるでしょう。

でも、そういうのを手にできる狐は本当に僅かで、みんな最後は、「東大なんて、ガリ勉みたいな奴の行くところだろう」と諦める。

佐藤 無理なジャンプを繰り返しているうちに、けが人続出の状況にもなるのです。負け惜しみを言っているうちはよかったのですが、どこかで心がポッキリ折れてしまう人は、少なくありません。受験で目いっぱい加熱された心が、結果を見て急速に冷却される。そんなことを繰り返していれば、当然そういうリスクは高まります。

一方、なんとかぶどうを手に入れて、やれやれと思っていた狐も、それで安泰とはいかないのです。社会に出て歩き始めた彼の前には、また別のぶどうの木が現れます。一流企業や官庁に入ったら、今度はそこで出世競争が待っているんですね。

池上 これがまた、熾烈を極める。時には、仕事の能力とは別の「忖度する力」なんかが問われるのだから。

佐藤 そんなこんなでへとへとになって、ようやく定年を迎えて「これから第二の人生だ」と思ったら、それこそが大いなる勘違いで、家でも地域でも全く役に立たない“濡れ落ち葉”だった……。

池上 ぶどうの果実を手に入れるどころか、葉っぱになっていたのでは、目も当てられません。(笑)