北島忠治氏の「前へ」という言葉

中日まで見て、大相撲で大切な「心・技・体」を感じるのではなく、明治大学ラグビー部の監督を67年間務めた北島忠治氏(1901年~1996年)が言い続けた「前へ」という言葉を思い出した。

ちょうど中日に、NHKテレビの大相撲の中で「師の教え」というのが放送され、100年を迎える春日野部屋が守り続けている「辛抱して押す」が、現在の春日野親方(元関脇・栃乃和歌)のインタビューによって紹介された。押し相撲はもちろんだが、四つ相撲でも押さなければ、投げられないのである。

「前進する」と「押す」の反対の「引き」で、8日目に霧島は2敗となった。勝ちたい精神が全身にみなぎっている前頭4枚目・翔猿に押し出された。NHKテレビの正面解説の舞の海さんは、引いてしまった霧島について、「負け方は最悪ですね」と話していた。

8日目は、昨年の名古屋場所で優勝決定戦をした豊昇龍と前頭3枚目・北勝富士が対戦した。この相撲も引きの悲劇が待っていた。北勝富士は引いてしまい、その時、前から悪かった右膝を痛めたようで、土俵下から立ち上がれなかった。人の手を借りて車椅子に乗って帰った。北勝富士は4勝4敗だ。

前進の凄さを見せてくれたのが、前頭3枚目・豪ノ山と元大関の前頭4枚目・正代だ。

5日目、豪ノ山は立ち合いから一気に押して進み、豊昇龍はその身体能力を披露することなく寄り切られた。「ゴー、ゴー、豪ノ山」という感じだったが、2勝6敗だ。

7日目、照ノ富士と対戦した正代は、もろ差しで一気に進み、照ノ富士を寄り倒した。「これぞ圧力の正代」という相撲で、観客たちが土俵に向かって座布団を投げた。私は照ノ富士と正代のファンなので複雑な気持ちではあった。

ところが8日目の正代は、前頭2枚目・阿炎にのど輪をくらい、一気に押し出された。阿炎は2勝6敗、正代は4勝4敗だ。正代の母校は東京農業大学で、両手に大根を持って踊る「大根踊り」が有名だ。インターネットを見ながら真似したことがあるが、とても体力がいるので無理だった。後半戦は連日大根の味噌汁を作り、静かに勝ち越しを祈ることにした。