(写真提供◎越乃さん 以下すべて)
100年を超える歴史を持ちながら常に進化し続ける「タカラヅカ」。そのなかで各組の生徒たちをまとめ、引っ張っていく存在が「組長」。史上最年少で月組の組長を務めた越乃リュウさんが、宝塚時代の思い出や学び、日常を綴ります。第65回は「イケボになれるいい声の作り方」のお話です。
(写真提供◎越乃さん 以下すべて)

前回「辰年の年明け。名がリュウだけに、龍の文字が入るお寺や神社、中島みゆきさんの歌まで、つい龍に反応してしまいます」はこちら

あまり気の進まなかった講師のお仕事

小さい頃から、人に何かを伝えること、話すこと、教えることすべて苦手で、自分発信ということが大の苦手でした。
なので、組長の人事の時はどれだけショックだったことか…。

退団してからも、人に何かを伝えること、話すこと、教えることは出来れば避けたいと思っていましたが、
お話をいただき、悩んだ末、3ヵ月だけなら…と弱気にお受けした講師のお仕事が、今年で8年目になりました。(笑)
人生は何がどうなるかわからないものだとつくづく実感します。
自分が先生と呼ばれる日がくるとは夢にも思いませんでした。

私の人生はいつも「嫌だ」とか「しぶしぶ」から始まります。
嫌々でも流されるままでも一歩踏み出してみると、思わぬ未来に繋がることもあることを、人生の教訓として学びました。

教えるのは月に1回だったのか、月に2回だったのか、3ヵ月だけなら…とお受けし、緊張しながら自分でスケジュールを組み立ててやっていた初めの頃、
その通りになどいくはずもなく、臨機応変ということを覚え、その人に合わせて伝え方を変えたり、試行錯誤の日々でした。